進路希望調査(2年〜秋)結果に添えて

 今、社会科の授業で「明治維新」を勉強しています。一見活気あるイメージだけで捉えられがちな時代ですが、身分解放令が必要で、徴兵制がしかれた時代です。
 
 それをたとえに、“将来を自由に考えられることの幸せ”を歴史から気づいてほしいと思っています。
 
 福沢諭吉や中江兆民も「今」に向かって叫びたいことは、歴史に名を残した人ばかりが時代をつくってきたのではなく、地租改正に苦しみ、それでも税を納めた人々も等しく偉人であるということだと思います。

  「進む路」に優劣などはないのです。


↓クリックしていただけると幸いです。
にほんブログ村 教育ブログ 中学校教育へ

↓私のHPです。よろしければ、どうぞ。
http://www.r66.7-dj.com/~dreamer/

「進路」は“ドミノ倒し”のようで

 
 1つ目のドミノが2つ目のドミノを倒すこと自体は、そう大変なことではありません。考えてみると、99999個目のドミノが100000個目のドミノを倒すこと自体も、同じように1つのドミノが次のドミノを倒すことくらいの容易(たやす)さです。ただ、それをそこまで連続させることは大変なことです。
 
 それは夢を叶えていく過程(プロセス)に似ています。それは、まるで「進路」です。
 
 ところで夢や進路について何となく抱いてしまう躊躇(ためら)いは、その実現が“無理かもしれない”と思ってしまうところからのものです。それは少し勘違いしているといえます。無理かどうかは分からないことですし、実際は、“無理なのではなく、大変なだけ”なのです。
 
 もちろん、大変です。だいたい大変でないものならば目指す価値もありません。その必ずある大変さも、“一か八か”の大変さではありません。また、日々の努力やノルマの大変さでもありません。求められる大変さは、続ける大変さなのです。まるでドミノ倒しのようです。1つのドミノが次のドミノを倒すくらいの努力なのですが、それをずっと続けていく大変差さなのです。
 
 中学〜高校、専門学校〜大学、そして就職など、それぞれがたくさんのドミノで形作られています。その「ドミノ」は、1日1日の「日常」を意味します。その1日を丁寧に大切に過ごしていくことが、いつか辿り着く夢の「ドミノ」に繋がっていくのです。
 
 「進路」を進めていくとは、「日常」を繋いでいくことなのです。



↓クリックしていただけると幸いです。
にほんブログ村 教育ブログ 中学校教育へ

↓私のHPです。よろしければ、どうぞ。
http://www.r66.7-dj.com/~dreamer/

「プロフェッショナル仕事の流儀」に触れて

 木村秋則さんに学んだこと
 
 「みなさ〜ん、歯を大切にしましょう。」そんな一言への大爆笑から始まりました。
大きな紅玉と小さな紅玉が示され、「この大きな紅玉も、そして小さな紅玉も1年間がんばったんです。それでも、こちらは小さいんです。」ここで一瞬の間を置いて、「でも、食べると同じ味なんです。」と。結果の大小にかかわらず、その努力の価値に違いはないというメッセージを受け取りました。
 
 大きなオオバコの葉と、小さなオオバコの葉が示されました。その大きさの違いの原因が問われました。また、一瞬の間があって、「大きな方は柔らかい土で根を大きく広げたオオバコ、小さな方は固い土のオオバコ。」と。柔軟な心構えで、広く見聞を求めることの大切さが伝えられました。
 
 パソコンに青森県で初めて触ったオペレーターだった木村さんが、いくらコンピューターを上手に使いこなせても、それだけでは生きていけない(コンピューターは食べられない)と。人は食べなければ生きていけないところから、それを支える農業の大切さを語りながら、自分の仕事に誇りを持っている素敵さを見せつけてくれました。 

 気づくと1時間が過ぎていました。気づくと写真のような装いで満面の笑みのおじさんが、とてもかっこよく見えていました。生徒が握手とサインを求めていました。

 「奇跡のりんご」が生まれた農園で、夢までの軌跡を感じることができました。



↓クリックしていただけると幸いです。
にほんブログ村 教育ブログ 中学校教育へ

↓私のHPです。よろしければ、どうぞ。
http://www.r66.7-dj.com/~dreamer/

生徒会役員「選挙」について(学年集会で話したこと)

 国の政治に例えて話しました。
 よく、“近ごろの政治は(議員は)〜〜。”などという声がマスコミに流れますが、その風潮についての1つの考え方を紹介しました。それは、“その人を選んだ側の責任もある”ということです。その人たちを議員に選んだ有権者側の責任を、もっと自覚しなければならないということです。「議会」をつくるのは有権者であり、世相が映し出されるものであることを伝えました。
「選挙」になると候補者ばかりが緊張していますが、もっと選ぶ側が自分の「1票」に責任を感じて、これからの岐路に立つ緊張感をもつよう訴えました。

 また、“誰に票を投じるか”の判断についても1つの考え方を数学の式のようにして話しました。
それは、「公約」×「実行力」という式です。マニュフェストという言葉が踊っていますが、それがすべてでもありません。その約束を実行できる力があるか、言い換えると約束を守るような人なのかが問われるのです。例えば、壮大な「公約」にも、必ずその候補者の人となり(実行力)、つまり信頼度を掛け算しなければならないということです。また、小さな「公約」でも、それが必ず行われるであろう信頼度が掛け算されることで、大きなものとなる場合もあると教えました。
 
 その時は伝えきれなかったのですが、「公約」×「実行力」には「思いやり」が加算されます。つまり、「公約」×「実行力」+「思いやり」という式になります。やはり「思いやり」は、かなりのことを補う力があります。

 国政選挙などは投票率が低下してきています。“どうせ変わらない”“興味がない”“関係ない”という意識が蔓延ってきているからだと思います。そういう意識こそ、社会の生気を枯渇させ衰退させます。議員(議会)には、社会が映し出されますから、もしかすると、政治がよりよい未来へと踏み出していけないもの、偉い方々が国民の声に興味がなく、庶民の必死な日常が他人事のように扱われているのも、そういう世論が映し出されているのでないでしょうか。
 
 この生徒会役員選挙で、これからの学校を象徴する執行部を、皆で作りましょう。


↓クリックしていただけると幸いです。
にほんブログ村 教育ブログ 中学校教育へ

↓私のHPです。よろしければ、どうぞ。
http://www.r66.7-dj.com/~dreamer/

 「Pioneer〜次の開拓者として」

 これからの「学校」に期待すること

 これまで「学校」というところは、本校に限らず“荒れる〜立ち直る〜荒れていない〜荒れる”という大きな輪廻から抜け出せずにきました。それは、学校を見極める基準が“荒れているか・いないか”というところにあるからではないでしょうか。
 
 本校は、次の時代への過渡期を過ごしています。その“荒れる荒れない”を脱した「次の時代」へと踏み出そうともがいています。目指しているところは、生徒の思春期の“揺れ”を吸収できる振幅のある“荒れない”学校です。きっとそれは、未だ出現したことのない「学校」なのかもしれません。
 
 これからは、すべてに「次」の段階を模索してきたいと思っています。
 
 授業をしている教師に突き刺さるほどの眼差しを向けてくれる生徒たちがいる学校の「次の段階の授業」を、皆が真剣に参加している生徒総会の「次の段階」を、誰かを楽しませるために恥ずかしいことにも挑むことのできる人がたくさんいる生徒会の「次の段階」を。すべてに「次」を模索していくことができる今にいます。
 
 “荒れていない”から“荒れ始める”段階に向かわない方法は、「次」を目指すところにしかないと思うのです。
 
 決して目新しや、奇をてらったことを求めるのではありません。「次」に挑み、「次」を模索し、「次」を創っていく段階なのだと思います。
 
 「Pioneer〜次の開拓者として」、誰も歩いたことのない未踏なる地へ踏み出す世代なのかもしれません。



↓クリックしていただけると幸いです。
にほんブログ村 教育ブログ 中学校教育へ

↓私のHPです。よろしければ、どうぞ。
http://www.r66.7-dj.com/~dreamer/